2017年12月14日木曜日

中越福祉会Mの里 事故死? 消された事件性。今こそ真実を照らし出す(死闇)










コガソーシャルファクトリィ、のコガ・サナです。
中越福祉会 Mの里の某施設にて発覚し県への報告がなされました利用者様への
「死亡」事件ですが、県への報告がなされただけで、一般に公表もされず、警察・裁判沙汰にはなっておりません。これはなぜなのでしょうか。事件の可能性が低く、被害者側が、事を大きくしないように事業所側に申し出でもしたのでしょうか・・・。
 
事のあらましは、この施設の外出イベントで起こりました。とある観光スポットへ外出に出かけ、立ち寄ったお菓子屋さんの、カステラ焼きに近いモノを購入し、食べた際に、のどに詰まらせてしまい、処置を施し救急を呼び対応したが、その後死亡が確認されたというのである。この案件は事故として処理された。その後、続報も、この事案すらどこにも伝わってはいない。なぜであろうか、事件性はないと判断され、ご家族も納得され、事を収めたという事なのであろうか・・・。しかして、この事件、闇が見え隠れする。
中越福祉会には通所作業所と言うものが存在し、土日等には、日中一次支援として、外出企画等を行っている。
この、通所施設に努めている職員と言うものは、存外、指導員気取りの、福祉をよく知らない先生気分の職員が極めて多い現状をご存じであろうか。
別件でご指摘させていただいたこともあるが、通所事業所の職員は往々にして、サービス・支援計画書の内容や、詳細なデータを読み解かないまま、業務に携わっているのである。
数多くの、日替わりで大勢来る通所利用者さんをすべて把握するのは無理である、との指摘もあるが、職員の数は手薄、さらに安い給金で、サービス残業のあらし、作業ノルマの達成に重点を置くため一番大切な「支援」の観点は、まず最後尾に置かれてしまうのである。
表向きの、表面だけ取り繕った、見せかけの支援に甘んじているのである。そして。上層部もそれを黙認している。最高に事なかれである。
 
そんな中、事件は起こった。普段から、利用者さんを一山いくらの人間としか思っていない為、福祉施設を利用されている利用者さんであるという大前提を軽んじて、イベントにあたっていたフシが、様々な行事で指摘されている。つまりは、この案件だけでなく、ひやりとするような案件はすでに飽和状態にあり、起こるべくして起こった。
人災による、殺人事件に近い様相が露呈するのである。
素人が、様々な精神的課題をお持ちの利用者様を、なんとなく見ています。程度では、事件が起こらないわけはないのです。
もちろん、正しい視点で業務にあたられる支援員もきちんとおりますが、それは少数なうえ、未だに殿様感覚の指導員は、そう言った、支援を行うものを嫌います。
自分達の思いあがった「指導」をして従わせたいからです。
今回は、とんでもない大事になりましたが、あくまでも、事故として処理されてしまいました。強い表現になりますが、本来は、施設に殺されたのです。
進めばいずれ必ず踏んでしまう、地雷にあたったのです。
こうなることは、わかっているはずです、しかし、上層部は現状を変えようとはしません。
例えどんな事件が起ころうとも、全ては闇の中、利用者の足元を見て、家族にもそれっぽい説明をする。家族はいぶかしんでも、預けている手前、思うところがあっても言い出せない。
それを良いことにやりたい放題である。とことん腐っている。これが実態なのです。
 
今、この事件の裏を報告いたします。
なお、今案件は、個人的な内容を孕みますので、極力個人の詳細は控えております。
どうかご了承ください。
ですが、このような施設もいまだにあるのです。怒りと悲しみの怨嗟が、私たちの耳にも届いています。どうか、どうか、気づいてください。この闇に 光を。
この施設を 世の光に・・・。
 


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